【子育てコラム】成長していく子供と、薄れていく記憶。
新学期がやってきました。
我が子も無事に年中に進級し、新しい一歩を踏み出しました。
この時期になると、学校や幼稚園からは毎年調査票の提出を求められると思います。
自宅からの経路や緊急連絡先を記入するアレですね。
息子の通う幼稚園では、その中に生育に関する項目がいくつかありました。
「話ができるようになった時期」とか「歩き始めた時期」とか、いくつかの項目があるのですが、昨晩、母子手帳を見直しながら妻と一緒に記入していきました。
我が家では、子供の成長の様子を記録として残してあるので、それを見返せば記入することは容易でした。
ただ、「話し始めた時期」と言われると、「うーん、片言?ママとかマンマとか、そういうのもいいのか?」と迷ったり、「歩き始めた時期」に関しても、「二足歩行?つかまり立ち?」と曖昧で、結局スマホに残してある当時の動画を見返して判断することにしました。
昔の動画は暇つぶしに時折見返すのですが、いざ見返していると、どんどん懐かしくなり、気づけば深夜になってしまいました。
子供の成長の速さには、つくづく驚かされるのですが、それと同時に、自分の記憶がどんどん薄れていっていることに気が付きました。
初めて話をしたこと。
初めて歩き出したこと。
初めて連れて行ったあの遊び場。
どれもこれも、その瞬間は心の底から感動したはずなのに、当時の記憶はぼんやりとしか思い出せません。
「この服よく着てたな」とか、「そうそう、こんなセリフばっかり言ってた」とか、懐かしく思い出すことはできるのですが、どれも遠い昔のことのように思えてしまいます。
我が子はまだ4歳ですから、いずれもたかだか数年前の出来事です。
それなのに、頭の中の記憶にはほんの断片しか残されていませんでした。
私はこのことがとてもショックで、らしくなく泣きそうな気分になりました。
妻に聞いても同様で、やはり過去のことはほとんど覚えていないとのこと。
当時も今と変わらぬ情熱で子育てには向き合っていたつもりですが、映像を見返さないと思い出さないくらい薄っぺらいものだったのでしょうか?
それとも、それだけ毎日が色濃く、新しい記憶に塗り替えられていくのは、充実した日々の裏返しということなのでしょうか?
物事は捉えようですが、いずれにしてもあの片言で話し始めた息子や、よちよち歩きの息子はもう帰ってきません。この事実が、たまらなく悲しくなったのと同時に、すやすや眠る息子がとても愛おしくなりました。
いまこうして過去を懐かしんでいるのと同じように、数年後には、ヒーローになりきる息子や肩車をせがむ息子を懐かしく思うのでしょうか?
もう二度と戻らないこの瞬間を、しっかりと噛み締めたい。
新学期早々、改めて心に刻んだ出来事となりました。
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