男にはいつ「父親」としての自覚が芽生えるのか?
先日、Twitterで「父親としての自覚はいつ芽生えるのか?」についての議論がありました。
母親と比べて父親は、親としての自覚がなかなか芽生えないから、子育てに無責任だ、という趣旨です。
母親が親としての自覚を持つのは簡単です。
自ら痛みを伴って出産しますし、もっと言えば一年近く体内に命を宿しているのですから、否が応でも「母親」としての自覚は芽生えます。
でも父親は違います。
妻のお腹が大きくなり、やがて産声を聞いたとしても、自分自身の身体に変化が起こるわけではありません。
当然ながら母親と比較して、「父親」としての自覚が芽生えにくいのです。
では、「父親」はいつその自覚が芽生えるのでしょうか?
父親としての自覚が芽生える瞬間
父親としての自覚が芽生える瞬間は、もちろん人それぞれです。
☑初めて我が子を抱いた瞬間
☑初めて「パパ」と呼ばれた瞬間
思い返してみても、そのどれもが特別で、いまでも鮮明に憶えています。
でも、私にとって「父親になった」と自覚した瞬間は、少し違います。
意外かもしれませんが、私は「扶養控除申請をした時」に、初めて父親としての自覚を強く持ちました。
「子供を養う」という父親としての自覚
当たり前ですが、子供を扶養に入れるということは、自分が生計を立てて養っていかなければならないということです。
誰も養っていなければ、いくらお金を使おうが、全て自分の責任。
お金がなくなってごはんが食べられなくなったとしても、それは「自己責任」で解決されます。
ところが家族を養うようになると、そうもいきません。
限られた収入の中で生計を立てていく必要があります。
当然、好き勝手に仕事をするわけにも、辞めるわけにもいきません。
もちろん倒れるわけにもいきません。
私は子供を扶養に入れた瞬間に、「もう自分は1人じゃない」と思うようになりました。
「子供を育てる義務がある」と感じた瞬間に、「父親」としての自覚を持ったのだと思います。
子供の人生を背負うというプレッシャー
最近は独立や起業が流行っていて、若者の間では「会社員=時代遅れ」とすら思っている人も増えています。
でも家族を養っている身からすれば、やはり安定を求めて会社員として生活することを前提に考えるのが妥当だと思うわけです。
倒れるわけにもいきませんから、身体に気を使うようにもなります。
生命保険も手厚くしました。
自分が好きなように働いて、好きなように動けるのは、誰も扶養に入れていない者だけの特権です。
大げさに言えば、父親に何かがあった時には、子供の生死にも関わります。
そのプレッシャーって、父親になって初めて感じるものなんですよね。
父親になって初めてわかる、「父親」の偉大さ
一家の主としてのプレッシャーは、その立場になったものでなければわからないと思います。
私は子供を扶養に入れるようになって、初めて自分の父親を「偉大だ」と尊敬するようになりました。
子育てブログを書いていると、特にSNS上では「家事、育児をしない父親」に対する文句が溢れていることに気がつきます。
女性の社会進出が叫ばれて久しい昨今では、当然の流れなのでしょう。
家事や育児を1人で担う「ワンオペ」に不満を持つことも当たり前だと思います。
でも、たまには思い出してほしいのです。
「家族全員の人生を背負っているあなたの家のご主人は、思っている以上にとても偉大な存在ですよ?」
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